2008年 01月 31日
第3回 野火止用水、ライシャワー館、薬用植物園、 |
小平のパソコンクラブKSNCのミニサークル「小平の見どころを歩く会」の第3回目が実施された。この時期としては申し分のない好天気のもと、野火止用水に沿って散策した。
日 時 2008.1.30(水) 9:00西武多摩湖線 萩山駅改札口集合
コース 萩山駅9:00→九道の辻→ライシャワー館→野火止用水清流復活の碑→東大和市駅→小平監視所→こもれびの足湯→小川橋→東京都薬用植物園→東大和市駅(解散12:40)
野火止用水と府中街道が交差する地点。現在は府中街道など7本の道が交差しているが、かつては九本の道があった。鎌倉街道、江戸街道、大山街道、奥州街道、秩父道、引股道、宮寺道、清戸道、御窪道。
左の木は「ハナキササゲ」 道路の整備にそなえ、大枝はカットされ、一部は東村山市の北山公園に移植されている(同行のSさんからのはなし)。
明治学院東村山中・高校にあるライシャワー館 駐日米国大使エドウィン・O・ライシャワーの父親で長老派教会の宣教師、同学院の教師だったオーガスト・C・ライシャワーが住み、大使が生まれた建物。港区白金にあったものをここに復元した。大使の在任期間は1961~65年。任命者はJ.F.ケネディ大統領。
野火止用水は雑木林の中を流れている。
松平伊豆守(川越藩主・老中)は玉川上水からの分水を許可され、家臣安松金右衛門に工事を命じ、野火止まで約30kmを2年間で完成させた(明暦元年 1655年)。
開通した当時は野火止用水沿いには50数戸の農家しかなかったが、明治初期には1,500戸がこの用水を飲料水にしていたという。
ハプニングがあった。参加者の家が直近にあり、みんなで訪問することとなった。上がり込み、コーヒー、菓子などいただいた。広い玄関にはさまざまな靴がいっぱい。
(二階の吹き抜けから)
ほとんどは右岸を歩くが、時には左岸も歩く。
野火止用水の放水口。昭島の高度下水処理水はここから開渠の流れとなる。後出の玉川上水の放水口と比べると小規模だ。
この日の参加メンバー。昭和49年に東京都の水事情からストップしたが、昭和59年に高度処理水が流れ始めたことを記念した「清流復活の碑」を囲んで記念写真。
このあたりは小平市栄町と東大和市の境界だ。野火止用水は先ほどの放水口から取り入れ口の小平監視所まで暗渠になっている。
開渠当時架けられていた青梅橋にある庚申供養塔と橋標(左)。庚申塔の裏には西 おうめみち、北 山くちみち、東 江戸、南 八王子と刻まれ、道標を兼ねている(堂がじゃまして見えないが)。
野火止用水の暗渠の上のレンガ道を歩き、ごみ焼却場の前を過ぎる。
小平監視所近くに玉川上水清流復活の碑がある(昭和40年淀橋浄水場が廃止されると羽村からの上水はほぼすべて東村山浄水場に流されるようになった)。
昭島の下水処理場で高度処理された下水が、ここから放水され玉川上水となる(昭和61年)。
焼却場のお湯を利用した「こもれびの足湯」 いつ来ても満員。今日六角形の足湯は故障だった。
小川橋にある石橋供養塔 上に東西南北の方位が刻まれており、道標を兼ねている。
この日の最後は東京都薬用植物園 中には入らなかった。入口の松の木には除虫・菌剤か栄養剤かこんなアンプルが刺さっている。いたましい姿だ。
解散後、ひとりで植物園に入ってみた。野外ではわずかにこの程度の花しかなかった。
紅梅、素心蝋梅、ふつうの蝋梅
日 時 2008.1.30(水) 9:00西武多摩湖線 萩山駅改札口集合
コース 萩山駅9:00→九道の辻→ライシャワー館→野火止用水清流復活の碑→東大和市駅→小平監視所→こもれびの足湯→小川橋→東京都薬用植物園→東大和市駅(解散12:40)
野火止用水と府中街道が交差する地点。現在は府中街道など7本の道が交差しているが、かつては九本の道があった。鎌倉街道、江戸街道、大山街道、奥州街道、秩父道、引股道、宮寺道、清戸道、御窪道。
左の木は「ハナキササゲ」 道路の整備にそなえ、大枝はカットされ、一部は東村山市の北山公園に移植されている(同行のSさんからのはなし)。
明治学院東村山中・高校にあるライシャワー館 駐日米国大使エドウィン・O・ライシャワーの父親で長老派教会の宣教師、同学院の教師だったオーガスト・C・ライシャワーが住み、大使が生まれた建物。港区白金にあったものをここに復元した。大使の在任期間は1961~65年。任命者はJ.F.ケネディ大統領。
野火止用水は雑木林の中を流れている。
松平伊豆守(川越藩主・老中)は玉川上水からの分水を許可され、家臣安松金右衛門に工事を命じ、野火止まで約30kmを2年間で完成させた(明暦元年 1655年)。
開通した当時は野火止用水沿いには50数戸の農家しかなかったが、明治初期には1,500戸がこの用水を飲料水にしていたという。
ハプニングがあった。参加者の家が直近にあり、みんなで訪問することとなった。上がり込み、コーヒー、菓子などいただいた。広い玄関にはさまざまな靴がいっぱい。
(二階の吹き抜けから)
ほとんどは右岸を歩くが、時には左岸も歩く。
野火止用水の放水口。昭島の高度下水処理水はここから開渠の流れとなる。後出の玉川上水の放水口と比べると小規模だ。
この日の参加メンバー。昭和49年に東京都の水事情からストップしたが、昭和59年に高度処理水が流れ始めたことを記念した「清流復活の碑」を囲んで記念写真。
このあたりは小平市栄町と東大和市の境界だ。野火止用水は先ほどの放水口から取り入れ口の小平監視所まで暗渠になっている。
開渠当時架けられていた青梅橋にある庚申供養塔と橋標(左)。庚申塔の裏には西 おうめみち、北 山くちみち、東 江戸、南 八王子と刻まれ、道標を兼ねている(堂がじゃまして見えないが)。
野火止用水の暗渠の上のレンガ道を歩き、ごみ焼却場の前を過ぎる。
小平監視所近くに玉川上水清流復活の碑がある(昭和40年淀橋浄水場が廃止されると羽村からの上水はほぼすべて東村山浄水場に流されるようになった)。
昭島の下水処理場で高度処理された下水が、ここから放水され玉川上水となる(昭和61年)。
焼却場のお湯を利用した「こもれびの足湯」 いつ来ても満員。今日六角形の足湯は故障だった。
小川橋にある石橋供養塔 上に東西南北の方位が刻まれており、道標を兼ねている。
この日の最後は東京都薬用植物園 中には入らなかった。入口の松の木には除虫・菌剤か栄養剤かこんなアンプルが刺さっている。いたましい姿だ。
解散後、ひとりで植物園に入ってみた。野外ではわずかにこの程度の花しかなかった。
紅梅、素心蝋梅、ふつうの蝋梅
by golf9243
| 2008-01-31 19:39
| 小平の見どころを歩く会