2012年 05月 18日
第19回 薬用植物園ほか巡り |
第19回目の「小平の見どころを歩く会」は、現在の小平市のもととなった旧小川村開拓の中心部を歩いた。また、都立薬用植物園では研究用に栽培されている麻薬の原料となるケシを間近に見られた。特に10.16.17日の三日間だけは9:30~10:00までの30分間、普段は入れない二重柵の内側に入り、解説付きで観察できるので、ここにコース全体の1/3の時間がかけられた。
前日の雨もあがり、晴天のもと和やかに歩くことができた。
史跡の解説部分は小平市教育委員会編集・発行の「こだいらの史跡めぐり」によりました。
日 時 2012.5.16(水) 参加者 13名 天気 晴れ
コース 西武拝島線 東大和市駅9:00出発→都立薬用植物園→小川用水分岐→小平神明宮→小川寺→ 竹内家の大けやき→(玉川上水)→森田農園→東大和市駅(12:30解散)
薬用植物園 ケシ栽培の柵の外で待つ 柵の内側
一貫種という白いケシが多い 事務室に置かれたヒマラヤの青いケシ
小平監視所で分水された小川用水は、ここで青梅街道の北側と南側に分かれる
市内の玉川上水は下水を高度処理した水だが、小川用水は多摩川の原水である
小平神明宮
小川九郎兵衛が小川村を開拓するに当たり岸村(現在の武蔵村山市)に鎮座してあった産土神を奉戴してきた。当初は今より北側の野火止用水ぎわに寛文元年(1661年)宮崎主馬、名主、総農民の協力を得て社殿を建立し、郷土の守護神としてこれを祀った
本殿 小川村開拓碑
小川寺 明歴2年(1656年)小川九郎兵衛が小川村の開発を始めると共に建立した臨済宗の寺
(玉川上水の完成は1654年)
小平の開拓者 小川九郎兵衛の墓(享年48歳) 梵鐘
馬頭観音塔 庭園 境内に香るオオヤマレンゲ
竹内家の大けやき
この地に移り住んだ寛文年間(1661~1671)防風のために植えられた 市内最大のけやき 高さ35m 胴回り6.5m 枝張りの面積400㎡ 樹齢300年以上
ここは市内に残った最後の短冊型の土地として有名だったが、最近周囲は整備され、畑の一部に建造が建てられた
大けやき道公園で休憩 玉川上水沿いを歩く
森田農園はいつも花いっぱい オープンガーデンなのでだれでも入れる
いろいろなディスプレーも楽しい
解散後、有志でランチ、さらにその後薬用植物園に再度入園したひともいた。
薬用植物園ではケシをはじめいろいろな花を撮ったが、その投稿は別の機会にします。
前日の雨もあがり、晴天のもと和やかに歩くことができた。
史跡の解説部分は小平市教育委員会編集・発行の「こだいらの史跡めぐり」によりました。
日 時 2012.5.16(水) 参加者 13名 天気 晴れ
コース 西武拝島線 東大和市駅9:00出発→都立薬用植物園→小川用水分岐→小平神明宮→小川寺→ 竹内家の大けやき→(玉川上水)→森田農園→東大和市駅(12:30解散)
薬用植物園 ケシ栽培の柵の外で待つ 柵の内側
一貫種という白いケシが多い 事務室に置かれたヒマラヤの青いケシ
小平監視所で分水された小川用水は、ここで青梅街道の北側と南側に分かれる
市内の玉川上水は下水を高度処理した水だが、小川用水は多摩川の原水である
小平神明宮
小川九郎兵衛が小川村を開拓するに当たり岸村(現在の武蔵村山市)に鎮座してあった産土神を奉戴してきた。当初は今より北側の野火止用水ぎわに寛文元年(1661年)宮崎主馬、名主、総農民の協力を得て社殿を建立し、郷土の守護神としてこれを祀った
本殿 小川村開拓碑
小川寺 明歴2年(1656年)小川九郎兵衛が小川村の開発を始めると共に建立した臨済宗の寺
(玉川上水の完成は1654年)
小平の開拓者 小川九郎兵衛の墓(享年48歳) 梵鐘
馬頭観音塔 庭園 境内に香るオオヤマレンゲ
竹内家の大けやき
この地に移り住んだ寛文年間(1661~1671)防風のために植えられた 市内最大のけやき 高さ35m 胴回り6.5m 枝張りの面積400㎡ 樹齢300年以上
ここは市内に残った最後の短冊型の土地として有名だったが、最近周囲は整備され、畑の一部に建造が建てられた
大けやき道公園で休憩 玉川上水沿いを歩く
森田農園はいつも花いっぱい オープンガーデンなのでだれでも入れる
いろいろなディスプレーも楽しい
解散後、有志でランチ、さらにその後薬用植物園に再度入園したひともいた。
薬用植物園ではケシをはじめいろいろな花を撮ったが、その投稿は別の機会にします。
by golf9243
| 2012-05-18 23:29
| 小平の見どころを歩く会